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ジャニーズグループ名の由来ってなんだ?

今年も8月の終盤を迎えました。
毎年、夏の高校野球と24時間TVが終わると、
夏の終わりを感じます。

高校野球は大阪桐蔭高校の史上7校目の春夏連覇、
24時間TVは佐々木健介・北斗晶一家による
リレー形式のチャリティーマラソン120km走破で
幕を閉じました。

24時間TVのパーソナリティは嵐と新垣結衣。
相変わらずの雰囲気でプログラムが進行し、
『主役はあなたです』って.......言ってなかったな。
主役はあなたですって言ってなかった気がする。
いつから言わなくなったんだろうか?
う~ん。

まぁ、それは置いておいて 
それにしてもジャニーズが24時間TVの司会をする形式に
なったのはいつの頃からなのでしょうか?

以下、年表を見てみましょう

1995 SMAP・久本雅美・鈴木杏樹
1996 間寛平・江角マキコ・瀬戸朝香
1997 KinKi Kids・加藤紀子・飯島直子
1998 TOKIO・広末涼子
1999 SPEED
2000 V6・RIKACO・藤井隆
2001 今田耕司・モーニング娘
2002 雨上がり決死隊・モーニング娘
2003 TOKIO
2004 嵐
2005 草彅剛(SMAP)・香取慎吾(SMAP)
2006 KAT-TUN・篠原涼子
2007 タッキー&翼・黒木瞳・新庄剛志
2008 嵐・仲間由紀恵
2009 NEWS・菅野美穂
2010 TOKIO・米倉涼子
2011 関ジャニ∞・堀北真希
2012 嵐・新垣結衣

1995年のSMAPが始まりで、断続的にチラホラ顔を出し始め
2003年のTOKIO以来、完全に定着。

SMAPヒット以後のジャニーズの勢いは本当に凄まじい。
今のTVで数字取れるのってジャニーズか韓流かでしょう。

さてさて、ジャニーズといえば、新しいグループができるたびに、
いつも気になっているのが、そのジャニー喜多川氏の
類稀なるセンスによるグループ名です。

『うわ~、そりゃないだろう~』
と毎回思うのだが人間慣れってのは怖いもんで
いつの間にやら気にならなくなる。

それもジャニーさんのネーミングセンスによる
ものなのか.....。

では、ジャニーズでも有名どころの名前の由来
は何なのだろうでしょうか?

以下、Wikiから引用。

SMAP....
1988年4月、スケートボーイズ(後述)の中からグループ結成。結成当時の年齢はそれぞれ中居15歳、木村15歳、稲垣14歳、森14歳、草彅13歳、香取11歳。CDデビューまでのJr.内グループ期間が3年以上にわたり、その間アイドル番組やドラマ、舞台などに出演し、アイドルとしての人気を確保していった。グループ名は事務所の社長・ジャニー喜多川が、この当時のスケートボーイズのキャッチコピーだった「S1988年4月、スケートボーイズ(後述)の中からグループ結成。結成当時の年齢はそれぞれ中居15歳、木村15歳、稲垣14歳、森14歳、草彅13歳、香取11歳。CDデビューまでのJr.内グループ期間が3年以上にわたり、その間アイドル番組やドラマ、舞台などに出演し、アイドルとしての人気を確保していった。グループ名は事務所の社長・ジャニー喜多川が、この当時のスケートボーイズのキャッチコピーだった「Sports Music Assemble People」(「スポーツや音楽をやるために集められた人々」という意味)の頭文字から命名した。

 

TOKIO.....
1989年、テレビ朝日のバラエティ番組『アイドル共和国』内で、「平家派」のメンバーだった城島と山口が「城島茂バンド(通称:ジョーバンド)」というユニットを結成。当初、このユニットは城島が事務所に無断でプライベートで結成したものだった(前身は「JURIA」というバンド)。 その後、社長のジャニー喜多川が「TOKIO BAND」というバンド名を与えた。このTOKIO BANDが、現在のTOKIOの直接の前身に当たる。
1990年4月、国分(城島、山口と同じく「平家派」の出身)と松岡が、「SMAP学園」選抜メンバーとして城島と合流し、3名で最初のTOKIOを結成。 少し遅れて小島が加入し4人組となる。 しばらくこの4人での活動が続いたが、城島がジャニー喜多川に交渉した事により、山口も新しくメンバーに加わった。
1993年頃から、ジャニーズJr.の中で頭角を現していた長瀬が時折サポートとして加入するようになる。それ以降、デビューまで雑誌・ラジオ等では長瀬を除く5人編成、テレビやライブでは長瀬を含む6人編成といった、妙な構成で活動していた。
1994年、CDデビューを目前に控えた時期に、小島が突然脱退してジャニーズ事務所を辞めたため、長瀬が新しく正式なメンバーとなった。

 

KINKI KIDS......
1991年5月5日、横浜アリーナで行われていた光GENJIのコンサートで初めて出会う。事務所入りは、共に姉がジャニーズ事務所に履歴書を勝手に送ったことがきっかけである。
また2人共メディアや人前に出るのが苦手であり、剛は「自分は、人前に出るのが凄く苦手」、 光一も「現在でも、仕事以外では極力人前には出ない。」とインタビューで話している。 ちなみに剛は最初に光一に出会った頃は光一のことを堂本光一ではなく田中光一だと思っていた。
1992年より、アイドル雑誌などで2人揃って活動するようになる。 正式なグループ名が決まる前までは、「ジャニーズ関西組」、「堂本ブラザーズ」、「W堂本」などの呼び名があったが、その後、1992年12月31日放送の『NHK紅白歌合戦』でSMAPのバックとして出演した際、「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」という名前で紹介される。 そして、中居正広司会の『キスした?SMAP』第1回放送(1993年4月4日)にて、正式に“KinKi Kids”の名に決定した。 なお、“K”の文字がすべて大文字に統一されたのは、1994年末からである。

 

V6.........
年長組3人を「20th Century(トゥエンティース・センチュリー、通称:トニセン、TC)」、年少組3人を「Coming Century(カミング・センチュリー、通称:カミセン、CC)」として、独立した活動も行っている。グループとしての音楽活動・バラエティ番組出演のほか、ドラマや映画・舞台、またそれぞれのソロ活動も活発に行っている。
“次世紀”という意味の年下組ユニット「Coming Century」の名は、CDデビュー時から存在したが、対する年長組には名前がなかなか付かず、当初は仮称として「V6アダルトチーム」・「V6ヤングチーム」という風に分けられていた。しかし、楽屋裏で居合わせた近藤真彦がジャニー喜多川にアダルトチームへの命名を進言した事がきっかけで、カミセンが意味する21世紀に対し“20世紀”を意味する「20th」と命名。その後カミセンに合わせて“Century”の文字を付け、「20th Century」の名に落ち着いた。グループの愛称も、ジャニー喜多川が“20th”の発音である“トゥエニース”を更に縮め、「トニセン」と命名した。
V6の“V”には、バレーボール、ビクトリー、バーサス、ベテランなど、20~30もの意味が存在する。また、中国語名では「勝利六人組」という表記をされている。
井ノ原曰く、「V6は当初1年限定のユニットだった」という。
1994年12月の発足以来プロ化を目指していた日本バレーボールの「Vリーグ」に乗じ、1995年秋にフジテレビ主催で行われた『バレーボールワールドカップ』のイメージキャラクターとして新しいグループが作られる事が、1995年8月に発売されたアイドル雑誌『Myojo』の1995年10月号にて初めて発表される。その時のグループ名表記は「Vsix」で、メンバーもまだ候補段階であり、坂本昌行・井ノ原快彦・原知宏の3名の写真と、長野博・佐野瑞樹・喜多見英明の3名と思われるシルエットの、計6名となっている。この6名は当時、「ジャニーズSr.」(初代メインメンバー:坂本昌行、長野博-初代サポートメンバー:井ノ原快彦、佐野瑞樹、原知宏、喜多見英明)としてNHK-BS2『アイドルオンステージ』で活躍していたメンバーだった。また、このとき残り3名は次号で発表となっている。そして次号のアイドル雑誌『Myojo』1995年11月号までの間に、佐野・喜多見ではなく、「剛健コンビ」と呼ばれていた森田剛(ジャニーズSr.初代サポートメンバーの代理メンバー)と三宅健が正式に加入。更にその後、ジャニー喜多川が年上チームと年下チームに二分する事を考案。そこで、原知宏は元々Sr.の出身で、年下チームに入れるには身長も高すぎるという事で、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』内のオーディションコーナー「ジャニーズ予備校」出身の岡田准一と木村伸一、更に「J-eleven」(長野博・井ノ原快彦・森田剛・三宅健も所属)出身の大野智という3名の候補者が浮上。最終的には岡田がメンバー入りする事に決定。ここで初めて現在のメンバー構成となり、1995年9月発売、アイドル雑誌『Myojo』1995年11月号では、「V6」のデビューが大々的に掲載され、この時点でメンバーは坂本昌行・長野博・井ノ原快彦・森田剛・三宅健・岡田准一の6名である。また1995年9月4日に六本木のディスコ「ヴェルファーレ」にて坂本昌行・長野博・井ノ原快彦・森田剛・三宅健・岡田准一の6名の「V6」としてのデビュー記者発表が行われた。

 

嵐.........
嵐というグループ名は、「世界中に嵐を巻き起こす」「芸能界に嵐を巻き起こす」という意味のほか、頭文字が五十音でも最初の“あ”、アルファベットでも最初の“A”であり、「頂点に立つ」という意味が込められている。
櫻井、二宮、松本は夏前からレコーディングや振り付けを行っていたが、CDデビューすることは知らされていなかった。大野はそれまでに2度、事務所に辞意を伝えていたため、事務所側に騙される形でレコーディングを行なった。櫻井は当時、嵐を一時的な物と考えており、『1999年ワールドカップバレーボール』のイメージキャラクターとしての仕事が終われば、ユニットは解散するものと思っていたため、メンバー入りを引き受けた。二宮はすでに事務所に辞意を伝えていたため、最後を記念する旅行だと言われハワイへ渡った。そのため、当初は5人中3人というメンバーの半数以上がデビューに対して後ろ向きだった。 メンバー5人が初めて揃ったのは、デビュー記者会見を行うハワイ州に渡る3日前。ハワイ州には各自別々に行き、5人揃ってからデビューすることを聞かされた。

以上、有名どころの命名の由来です。
思った以上にふ~んって感じの取分け面白みのない感じですが、
V6の部分が異常に長いのが気になります。
編集した方の気合の問題かもしれませんが。

でも、読んでみるとやっぱりV6が一番に気になって、

年長組=20th Century(トゥエンティース・センチュリー)、
年少組=Coming Century(カミング・センチュリー)

『ゆく人、くる人』。
最初っから年長組の立ち位置が非常に寂しい。
デビューしたら、もう終わっちゃうみたいな。

V6の“V”には、バレーボール、ビクトリー、バーサス、ベテランなど、20~30もの意味が存在する。

Vは、ビクトリーのVでいいんじゃないか?
特にVリーグ誕生がきっかけとはいえ、
バレーボールとベテランが勘弁してやってほしい。

まぁ、バーサスも厳しいが.....。

デビュー記者会見がヴェルファーレってのもVにかけたのかね。

まぁ、今後もジャニーズのグループ名に目が離せません。

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