『ぼくの帽子』 西条八十

昨日、ツイッターでも書いたけど度々思い出す以下の詩。

森村誠一氏の『人間の証明』に出てきて有名になった詩である。
オレのなかでは、森村誠一といえば『人間の証明』というより『悪魔の飽食』なんだけどね。

で、まぁ、なんというかジ~っと物思いにふけってみたり(自分で物思いにふけるってなんか変だな)
した時や、昔タバコを吸ってた頃ボ~っと一人で吸ってると頭の中に
『母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?~』とよく浮かんできたもんだ。

それだけ印象的な詩だってことだね。

でも、そういった才能とか能力がないからか、
オレには、この詩が何を意味してるのか、いまだにわからん(;´Д`)

ただし、ものすごく物悲しくて自分の中で想像(映像化?)しやすい詩だな
って感じる。

詩はたぶん感じるものなんだな。うん。
グッときますね。

ご存知の方多いと思いますが、以下、全文載せます。

「ぼくの帽子」 西条八十

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。




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