かまってほしい症候群からメディアリテラシーまで

ツイッターやブログをやっていて、ふと思うことがある。

オレのツイートやブログの記事ってのは、
どっちかって言ったらオチをつけたり奇をてらったようなのが多い。
もちろん、普通に『疲れた~』とか『電車に乗った~』的な
ツイートや記事もあるけど数でいったら圧倒的に前者が多いと思う。

なんでだ?

自分を客観的に見て『コレだな』という根っこの部分を
恥を忍んで申し上げるが、
オレが上記のようなツイートをするのは、
『皆さんからの反応を異常なほど期待している』
ということに他ならない。
うわぁ~、赤裸々。
30歳超えてなお『かまって欲しい症候群』ってところが
情けない話だが、プライドをなげうって正直申し上げると
そういうことになる。

PCの画面の向こうで思わず噴き出してないか?とか、
携帯を見ながら笑いを堪えてないか?とか。
すなわち
『見て!見て!オレこんなに面白いこと言ってるよ!!』
『相手にしてくれ~!オレに対してresをくれ!』
と思いながら、ツイッターやブログをやっているということだね。

見方によってはガツガツしてて実に恥ずかしいことなんだが。
けど、けどね。
個人的な意見として言わせてもらえば、
せっかくやってるんだから交流を持ちたいし
同じようなことで笑える人がいたらいいなぁ~っと思いながら
日々、ネット生活を楽しんでいるわけだ。
楽しみ方は自由だからね。
ただし、そこは節度を持ってやらなくてはならない。
誰かを傷つけるようなウソや表現の暴力は絶対にダメだと思う。
相手を傷つけない、誰にでもわかるようなウソってのは
楽しむ上では別に良いのではないかな~ってのが本心。

んで、このように思ってる人が、オレだけってことないでしょ。
むしろ、結構多いと思うわけです。
ツイッターやブログをやってる人の中に。
その方が健全でしょ?
どうせなら、多くの人に反応してもらって、
フォロワーやブログ訪問者を増やしたいっていうね。
自己主張でやってるんだから当たり前。
そういう風に市井の蒼氓が思うことってのは。
『目立ちたい』ってのが根っこにあるんだから。

では、ちょっと視点を変えて
じゃ、もうすでに有名な人たちってのはどうなんだろうか?

そういう人たちは、
そんな奇をてらったような発言や記事を書く必要がない。
すでに有名でみんな見てくれてるわけだから。
その欲求ってのは既に満たされてる。
じゃ、そういう人達ってどう考えるの?
目立つことを抜けるとその先に何があるか?
オレはこう考えるんじゃないかっと思うわけです。

『オレの意見でコトを動かせないか?』と。

もう、すでに有名な人たちは自分の発言の影響力を分かっているわけだから。
今度は、情報を操作したいっと思うんじゃないかと。

例えばニュース番組なんかで発言に影響力のあるコメンテーターがいるとする。
その人が、今度の内閣は『長続きさせてみよう』と考える。
………..ちょと、それはあまりにも悪意がある言い方だな…。
え~と、そうじゃなくて『今度の内閣は長続きしないと日本がやばい』と考える。
しかし、実際のところ、この内閣に期待できる所なんてまるでない。
だから、何としかして操作できないかと考えたとする。

その人が言う。ニュースで。
『この内閣は期待できる』と。
『これといった政策のヴィジョンはまだ無いが、
 彼のこれまでの、ひたむきな姿勢を考えると
 期待できる部分が大きい』と。
さらに、キャスターが続ける。
『前の政権に比べたら格段に高い支持率ですね』と。

これで大概の日本人は『ちょっと期待できるかも!?』と
操作されます。イチコロです。
これがメディアの力。そして有名人の力です。

だからこそメディア、特にTVは
発言に気をつけなくてはならない。
簡単に情報操作ができるんだから。
数字取るために偏った情報を流してはいけないわけです。

有名人もそう。
自分達の影響力を自覚していて、節度を持った人たちは、
決して早計な発言はしない。
逆に、自分の影響力に酔っている人や節度の無い人たちは
平気で過激な発言を繰り返し、その結果、人々を煽動することになる。
それが気持ち良くなってしまって、それをさらに繰り返すという
悪循環になるわけです。

我々は、そういった情報を取捨選択する力を持つ必要がある。
それがいわゆる『メディアリテラシー』と言うもんかね。
このメディアリテラシーの能力を育てたり、逆にその力を発揮させたりする
出入力口がインターネットということになる。

その昔、情報ってのは受動的に受けとるものだった。
ところがインターネットが普及することによって、
受け取るだけでなくインタラクティブに発信ができるようになった。
コレは非常に革新的なことで多くのメリットがあったわけだが、
逆に、多くのデメリットも生むことになる。

誰もが言いたいことを好きなように言い始めたわけだ。
真実ではなく、その人の意見を、さも真実のように発信したり、
全く裏づけの無い情報が気安くガンガン飛び交い始める。
そして、いつしかインターネットの世界は『質の悪い情報』の函の
ようになってしまったわけだ。
使い方によっては、もっと金の卵を産むニワトリだったはず。

例えば、オレは結構Wikipediaを使うんだけど、
そこに載っている情報をマトモに信用してしまっている。
でもさ。よく考えてみたら、Wikipediaの情報ってホントかどうか
わかんないよね?どうですか?
自分が仕事で重要な資料を作っていて、わからないことがあって
Wikiを確認したら載ってるとする。んで、その情報を元に資料を作って
正式に出すことができるか?………..ちょっと、厳しくない?
そういうことなんだよね。
信憑性が低いっていう。
逆に本で調べて資料を作ったとして、それってWikiよりも
自信を持って出すことができそうじゃない?
その本の情報だって、Wikiの情報だって裏づけがないんだよ。
鵜呑みにしてるわけだから。
けど、本のほうが信憑性があるような気がする。

それがインターネットの現状なんだと思う。

だから自分自身の取捨選択能力をより高めていかなくては
ならないわけですね。
それが難しいわけだけど。
そして、自分自身も気をつけなくてはならない。
知らず知らずのうちに、『質の悪い情報』を発信する側に
なっていないか?
人を傷つけたり、ウソの情報で人を煽動するようなことを
していないかってことを。

インターネットが普及してから、
情報を持っている者が勝つ。
情報を操作できるものが勝つ。
情報が金になる。
といわれてて、『そうなんだな~』と漠然と思い込んでいたことが、
自分の身の回りのことを考えて、それをちょっと広げていってみたら
いつのまにやら形となって自分の中にストンと落ちてきたっていう感じ。

確かに、操作できる位置になったら、それが自分の欲求のためか、
自分の力を試すためか、金のためかは分からないけど、
操作してしまうんだろうな。簡単にできるんだから。
だから、受け取る側は取捨選択する能力を。
発信する側は自己規制をしなくてはならないと。

やっと少し分かった感じがします。
あ~、支離滅裂。
思ったこと、そのまま書いてるだけなんで
乱筆乱文お許しを。