ウチの息子は某有名進学塾に通っている。
まぁ正直な所、中学受験をさせてやれるような
金銭的な余裕も無いし、たまたま入塾試験に合格したので、
入塾させ、その後惰性でココまでやらせているというのが
実際のところだ。リンク先記事参照↓
(https://from-meguro.com/archives/334 )
(https://from-meguro.com/archives/385 )
とまぁ、そういう状況を知ってか知らずか、息子も
周りの子達のヤル気に反比例するような惰性加減で
塾に通っている。
テストで『親友って字を間違って友親って書いちゃったよ~。アハハハ』
っと笑いながら報告してきたり
『割り算の問題を作りなさい』って問題なのに、
『100円のノートがあります。これを3冊買いました。さて、いくらでしょう?』
と掛け算の問題を作ってみたり、
問1から4まである問題に対して、
『問3までしかないと思った』という理由で、4を空欄のまま提出してみたり。
要するに完全なるヤッツケ仕事な訳である。
『塾に行けばいい』
『この問題を解けばいい』
『宿題をやればいい』
『テストを受ければいい』
という感覚。
実際は、勉強ってのは『どうしてこうなるのか?』
ということを理解しなくてはならないわけだけれども、
彼にはど~にもそれがわからないようだ。
目の前の問題を解けばイイ。正解だろうが、間違いだろうが関係ない。
間違ってたらヘラヘラ笑って『間違っちゃった~』と言えばいいと思ってる。
その態度が気に食わない。
先日のテストの後も家に着くなり
『はい。今日のテスト。コレ。じゃ、遊びに行ってきま~す!!』
っと消化試合にしようとしていた。
そんな息子の態度に対して、ついに嫁の堪忍袋の緒が切れた。
(嫁)『まてっ!!コラッ!!
あんたね~~!!!
やりゃ~イイってもんじゃないのよ~~!!
いくら掛かってると思ってんのよ!!
ヤル気無いなら、もう止めさすわよ!!!ヽ(`Д´)ノ』
当然である。無料(タダ)じゃないんだから。
ヤル気がないなら止めて頂かないとね。
と、そんなやり取りを見ていたら、
先日拝見したとあるブログを思い出した。
誠に勝手ながら、そこから転載させて頂こうと思う。
以下、転載である。
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ある日、視力に障害のある女性が、相談所の窓口に訪れた。
白杖を突き、ガイドヘルパーに付き添われていた。
窓口相談員は、ひとしきり説明したところで1冊のパンフレットを彼女に手渡し、
「詳しいことはそのパンフレットに記載されています。」と言ってそうである。
また利き手に麻痺が出て困っていると訴える方に、署名を求めたり。
聾唖の方に「聞いていますか?返事をしてください」と言ったり。
無神経さに怒りを覚える対応が、あちこちでなされています。
我々、介護や介助を生業にする者は、上記のような行為に警鐘を促し
心のバリアフリー化も住環境整備ととらえ、活動するべきです。
「所詮、他人の痛みはわからないもの」で片づけてはいけない。
これは、どのような対象を想定した警告でしょう。健常者?視覚障害者?
どちらにしてもあまり気分の良い印象は持ちにくいです。
(from "YUZUおやじ"のたゆたふ日記)
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こういうエピソードって、結構当たり前にその辺に転がってそうだ。
つまり、
世の中、結構『やればいい』『言えばいい』ということに溢れているってことだ。
JRの歯抜けのホームドアとかね。なんで歯抜けかね。中途半端に。
視覚障害者の方が線路に落ちたってニュースを何度か見たけど、
あれで完成ってこたないよね?まさか。
人の振り見て我が振り直せ。
知らず知らずの間に自分も『やっつけ』『惰性』で
物事を判断したり進めてたりするんだよね。たぶん。
息子のコトを言ってらんないな。
反省.....。