『芳賀ゆい』という名の偶像

本日は、いつもお越しくださっている皆様に
本当のコトをお話しなくてはなりません。

実は、このブログは3人で運営をしています。
つまり管理者Blockfrog(ブロフロ)は3人いるということです。

我々3人が輪番でテキストを書いている状態です。

目黒に嫁、息子と3人で住んでいて
門限が21:00で嫁に全く頭が上がらず、
10年以上飲み会にも行かず、
毎週毎週掃除させられている30男。
というキャラクターはあくまでキャラクターであり、
実在はせず、我々3人が作り上げた『架空の人物』です。

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ココまで読んで頂くと
『へぇ~そうだったのかぁ』といとも簡単に理解して頂けると思う。

もちろん上記は、全くのデタラメであり
このブログの管理者Blockfrog(ブロフロ)は1人だし、
1人でネタを搾り出しながら必死で更新を続けているし、
実際に目黒で嫁の尻に敷かれながら生きている30男だ。

が、
恐ろしいことに、インターネットの世界では、
わずか14行で2年間かけて築き上げてきた人物像を
いとも簡単に書き換えることができる。

顔を合わすことなくコミュニケーションをとっている
インターネットという仮想世界では、これが容易にできるのだ。
これがインターネットの面白い所であり、怖い所でもある。
何を信じればいいんですか?
それを決めるのはあなたです。っていうね。

誰でも自分の希望する人格を作り上げ、その人格として過ごすこともできるし、
はたまた、そっくりそのまま現実社会の自分と同人格で交流することもできる。

コミュニケーション手段は文章だけなので、
自分に関わった人に対して、その人格を突き通すことができるわけだ。

『リリィ・シュシュのすべて』という岩井俊二監督の映画をご存知だろうか?
ココから映画のネタバレを含むので、知りたくない方は読まないで欲しい。

この映画の主人公はイジメラレッコで、唯一の救いはリリィ・シュシュという
アーティストの曲を聴くことだった。
自らもファンサイトを運営し他のリリィファンとの交流を深めているわけだが、
今度、リリィシュシュのライブ会場で皆でオフで会うということになる。
そこで特に仲のよかった『青猫』というハンドルネームの人物の正体を
知ることになるのだが、なんと青猫は学校で自分をいじめているイジメッコだった。

っというくだりがある。

まさしくコレこそが上で僕が書いた分かりやすい例である。
僕はこの秘密めいた見えない闇のような部分が、
インターネットの魅力の一つだと思う。

その昔、2ちゃんねるに起こった『鮫島事件』とかね。

Facebookのように本当にオープンスペースとして古い友人を探したり、
交流したりする使用方法を『陽』とすれば、
本当の自分を隠し、新たな人格を作り新しい『自分の居場所』を作る
使用方法は『陰』といえるだろう。
(あくまで印象の問題だが)

今となっちゃ、陽の部分で使われ老若男女誰でも明るく交流しているが、
その昔はほとんどが陰な使われ方をしていたのだ。
それこそ、身元不明、御意見無用、罵詈雑言のアメアラレだった。

この匿名でなんでもできるスペースという自由性、この闇の刺激性。
この刺激が麻薬のように作用していたのは間違いない。

『作られた人格』
『実在するのか分からない闇』
『偶像』

偶像…….?

そんなコトを考えていたら思い出した。
皆さんは、

『芳賀ゆい』

をご存知だろうか?


hagayui.jpg


芳賀ゆいとは、
1990年、伊集院光のオールナイトニッポンにおいて番組とリスナーによって
作り上げられた『偶像(アイドル)』である。
以下、Wikipediaから引用。
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(1)
1989年11月の「伊集院光のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)の企画で誕生後、翌1990年に芸能活動をし、その後は消息不明とされている。活動内容はラジオパーソナリティ、水着グラビア、歌手など。フィクションの存在ではあるが、様々な人物が芳賀ゆいを担当して芸能活動を行い、あたかも実在するかのように扱われた。実体の芳賀ゆいに共通するのは、ポニーテールの髪型と顔を出さないことのみ。

(2)
芳賀ゆいは理想のアイドル像として様々なプロフィールが付加され、理想像を守るために素顔は公開しない方針をとり、また実体を伴う活動には複数の人間を用意する(例えばサイン会では同時に三人も現れ、中の一人は外国人であった)など、純化された偶像であった。メディアに露出する際素顔を公開しないことから、「覆面アイドル」や「未確認アイドル」と称された。

(3)
芳賀ゆい企画が誕生した直接の発端は先述した伊集院光の発言であったが、この企画に飛び付いたリスナー含め関係者の土壌には、秋元康プロデュースのおニャン子クラブなど、当時のアイドル量産路線に対する不満があったと言われている。「トイレにいかない」などの既存清純アイドル像を固持し、現実の人間とアイドル像との乖離が進んでいた中、「それだけ現実と離れたものを望むならば、架空のアイドルを作り上げてしまえ」という考えが生まれたのである。
企画の進行は、当初はパーソナリティの伊集院光とリスナー達が中心で、リスナーの考えた芳賀ゆいのプロフィールを番組のコーナーで紹介し、選考して公式のものとしていった。
芸能人である伊集院と、一般人であるリスナーの自分達が一緒に『アイドル』を作り上げているという連帯感。同じ『一人の女の子』を作り上げているのにリスナーそれぞれが違う女の子を想像したり空想する妙味。途中からは芳賀ゆいというキャラクターを作っているのではなく、さも実在しているかのような語り口となった。その後CBSソニーがCDデビューのリリース元に名乗りを上げ、商業面での進行が現実となり、世間で徐々に話題になっていくと「本当は自分達が作り上げた架空の・・」と、悪戯が成功した子供のような達成感を覚える。秘密を共有しているような高揚感が『芳賀ゆいプロジェクト』の最大の武器にして成功の原動力となったのである。実際にCDが発売され、マスメディアで取り上げられる機会も増えた一方で、伊集院光をはじめとしたスタッフ及びファンクラブから選ばれた一部のリスナーが企画会議をし、イベントを次々に開催するようになった。これは商業ベースに乗せてしまった以上抗えないオトナの事情に対する、ささやかなアンチテーゼでもあった。企画の肥大化と共に徐々に関係者も増え、リスナーには関与出来ない箇所も増えてきたが、伊集院光は企画の中心に一貫して座し、「芳賀ゆいは伊集院光のANNとそのリスナーのもの」と、その軸がぶれる事は無かった。彼のリスナーを大事にする姿勢からリスナー達にも出来る限りの裁量を与えていた。

(4)マスメディアでの露出が増え、周囲が熱を帯びてきたのと反比例するように『芳賀ゆいプロジェクト』は徐々に平静さを成し、熱気を冷まし始めていた。これ以上盛り上げることも、また、リスナーの手から離れることも不本意であるとの意見が多く、「ひとときの祭りのような『芳賀ゆいプロジェクト』で完結させたい」とする意見が圧倒的でかった。それらの意思を汲んで、その終焉を迎えるためのアイディアも、それまで通りリスナーから募集し、企画終了へ向けて動き出していた。そして、芳賀ゆいは芸能活動を休業し、留学するというものになった。
「アイドルといえばキョンキョン様」という伊集院の友人の言葉がきっかけとなり、『なんてったってアイドル』にあやかって、スキャンダルの一つもあったほうがリアリティーが出ていいのでは?という話が進んだ。写真週刊誌「FRIDAY」に『伊集院光との密会現場』とされるツーショット写真を、お遊び企画として掲載して貰った(記事の末尾にもフィクションである旨を記載された)。
「エピローグが欲しい」ということで、『未確認アイドルを見送る、未確認イベント』を最後のイベントとし、大団円を迎えようという案が出た。しかし、芳賀ゆいが留学するのは10月ということに決定しており、9月で終了する番組としては、伊集院はもとより、スタッフも現場に立ち会わない、その模様を放送する予定もない非公式なイベントである旨を明言し、「それでも終焉を自分の目で見届けたい人は集まって」と告げた。
1990年9月で伊集院はANNの担当を降板、それに伴い『芳賀ゆいプロジェクト』も幕を閉じた。

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偶像(アイドル)の名のとおり実態がないというのが、今もなおスゴイ発想だなと思う。
『芳賀ゆい』というホントの意味での偶像を置き実体を作らずイメージだけを歩かせる。
歌を歌うときは、歌を歌う芳賀ゆいを。
イベントには複数の芳賀ゆいを置き、イメージを固定させない。

あくまで『芳賀ゆい』は偶像なのだ。

AKBにみるファンとアイドルとのインタラクティブな関係。
インターネットが普及していなかった1990年初頭、
ラジオという第2のメディアを通してリスナーとともに作り上げられた
偶像『芳賀ゆい』は、まさにその先駆けといえよう。

あっ!そういえば先に紹介した
『リリィ・シュシュのすべて』もインターネットの書き込みを
繋げて作った物語なんだよね。

う~~ん。不思議にリンクするな…….。





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