『かごめかごめ かごのなかのとりは
いついつでやーる よあけのばんに
つるとかめがすべった うしろのしょうめんだーれー』
皆さんご存知のとおり、これは童謡『かごめかごめ』の歌詞だ。
地域によって若干歌詞が違うらしいが、その辺はご愛嬌。
既に様々なところで取り上げられているけど、
童謡は、表向きは子供向けだが歌詞に
不気味な意味の隠喩が込められているケースが多いとされている。
実際のところは分からない。
根も葉もないと言われてしまえば、それで終わり。
隠喩ってのはそういうもんだ。
もし自分が詞を書き大真面目に子供向けの歌を作るとして
そんな不気味な内容を混ぜ込むだろうか?
僕ならやらない。
やらないっていうか、そこまで気が回らない。
でも、いくつも作っていれば、
そのうち、やりたくなるのかもなぁ。
まぁ、話としてはクダらなくも面白い。
前述の『かごめかごめ』に関して言えば、
遊女説がいくつかあったり、埋蔵金のありかを表しているとも言われている。
・遊女説
1)かごめの中の鳥=遊女が、「いつ出ることができる?」このカゴ(廓)の中から。
という説。
2)籠女=妊娠している女性のこと。
遊女が妊娠していまい、いつ腹の子は出てくるんだ。
鶴と亀が滑った=めでたい事の象徴である鶴と亀が滑る=流産する。
ただし、「うしろの正面だれ」は不明。
(逆に不明なトコが不条理で怖さを増します)
・埋蔵金説
この意味不明な歌詞が埋蔵金のありかを表している。
もしくは何かしらの法則に当てはめるともっと分かりやすく示しているという説。
以上が、かごめかごめの隠喩といわれている一部。
どれもこれも、どちらかというとブラックな要素を含むものが多い。
以下、その他の童謡を記します。
・はないちもんめ
『勝ってうれしいはないちもんめ
負けてくやしいはないちもんめ
となりのおばさんちょっと来ておくれ
鬼がいるから行かれない
お釜かぶってちょっと来ておくれ
釜がないから行かれない
布団かぶってちょっと来ておくれ
布団破れて行かれない(?)
あの子がほしい
あの子じゃわからん
この子がほしい
この子じゃわからん
相談しよう
そうしよう』
これは口減らしの歌だという説がある。
口減らしの為、子供を人買いに売る時のやりとり。
『買って嬉しい花(子供)一匁(一文)』
『まけて(金額を値切られる)悔しい花(子供)一匁(一文)』
・ちょうちょう
『ちょうちょう ちょうちょう
菜の葉に とまれ
菜の葉に あいたら
桜にとまれ 桜の花の
花から 花へ
とまれよ 遊べ
遊べよ とまれ』
蝶々=男。花=遊女。
「菜の葉にあいたら(飽きたら』
と、次から次へと女を変える男を例えた歌。
・シャボン玉
『シャボン玉とんだ
屋根までとんだ
屋根までとんで
壊れて消えた
風、風ふくな
シャボン玉とばそ』
作者、野口雨情が産まれて一週間で
他界してしまった自分の子をシャボン玉に
例えたとされている。
・赤い靴
『赤い靴履いてた女の子
異人さんにつれられて行っちゃった
横浜の埠頭から汽船に乗って
異人さんにつれられて行っちゃった』
これも野口雨情による詞。
以下、Wikiより参照。
静岡県清水市有渡郡不二見村(現在の静岡市清水区宮加三)出身の岩崎かよの娘・きみ(1902年(明治35年)7月15日 - 1911年(明治44年)9月15日)がその赤い靴を履いていた少女のモデルとされた。その「定説」は次のとおりである。
岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り、鈴木志郎と結婚する。きみが満3歳の時、鈴木夫妻は、社会主義運動の一環として当時注目されていた北海道の平民農場へ入植する。しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは義父・佐野安吉の仲介により、娘・きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことにした。
やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核に冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま東京・麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられてしまう。きみは孤児院で母親に会うこともできず、9歳で亡くなったという。母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、きみが東京の孤児院で結核で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごした。
どれもコレも信じる信じないはあなた次第です。
僕は、こういう話が基本的に好きなので
真意はともかくとして面白いです。