先日、Yahoo知恵袋で
以下のような、やりとりを見つけた。
とても興味深かったので、ちょっと拝借。
(以下、引用)
Q.日本民族の勤勉性はいつから形成されましたか?(中国人です、よろしくお願いします。)
(以下、ベストアンサーに選ばれた回答)
江戸時代の労働の実例として
幕末期の記録によると、当時の江戸・京都・大阪などの大工の労働時間は二刻(とき)ぐらいだったようです。
昼休み・午前・午後の1日3回長い休憩があったせいですが、一刻を平均2時間12分と考えても1日の労働時間は4時間ちょっとだったということです。
建設・土木工事において、工期は特に設定されていなかったようです。江戸時代は「効率」とは無縁の時代だったといっていいでしょう。
きわめて安定した社会が長い間続いた時代です。森林伐採など開発も規制され、様々な点で発展が抑制されていたともいえます。
最近の研究で、江戸時代の農民の生活(労働環境)はいわれてきたほど厳しいものではなかったことが分かってきています。
現状維持さえ可能なら、効率を上げて生活を良くしようとか、他の者を出し抜いて自分だけ儲けようといった考えをする必要が無かったのでしょう。
※江戸時代を「長い日曜日」と評した人もいます。日本人が勤勉になったのは明治維新後だと思います。
「税率の増加」「徴兵制」など、農民も今まで以上に働かざるを得なくなった時期でしょう。
「勤勉さ」は「発展」につながるはずですので、急激に発展した明治以降が、日本人が急激に勤勉になった時期といえるのではないでしょうか。
さらに、太平洋戦争後、がむしゃらに働かなくては命にかかわる時代もありました。(結果的に戦後の経済発展に繋がりましたが…)勤勉さは日本人の美徳のように思われがちですが、長い歴史を考えたらその歴史は浅く、しかも勤勉にならざるを得ないような圧力があった結果なのではないかと思えます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1050960110
なるほど。
僕も小さい頃から『勤勉』は日本人のり誇るべき国民性だと、
社会によって刷り込まれてきた気がするし、
それに反発した意見を持ちつつも、
心の根っこの部分で誇らしく思っていた気がする。
だが、実際のところ、日本人はもともと勤勉な国民だったのかというと、
上の答えでもあるように、必ずしもそうであったわけではないようである。
こんなスレを見つけたので引用。
“江戸時代までの日本人はのんびりしてたらしいね。
明治に来日したイギリスの牧師は、日本の女性とそんな話になり
「日本人は花見だのなんだのと、ちょくちょく仕事を休むね」と言うと
「外国の方は私たちを怠け者のようにおっしゃいますけど、
でも、ほら、あんなに桜がきれい・・・」
と花にみとれて、話そっちのけだったとか。スイス遣日使節団長アンベールは、職人について
「若干の大商人だけが、莫大な富を持っているくせに
更に金儲けに夢中になっているのを除けば、
概して人々は生活のできる範囲で働き、
生活を楽しむためにのみ生きているのを見た。
労働それ自体が最も純粋で激しい情熱をかきててる楽しみとなっていた。
そこで、職人は自分の作るものに情熱を傾けた。
彼らにはその仕事にどれくらいの日数を要したかは問題ではない。
彼らがその作品に商品価値を与えたときではなく、
かなり満足できる程度に完成したときに、
やっとその仕事から解放されるのである。」お役人ものんびりしていたようで、デンマーク人海軍士官スエンソンは
「悪習らしい悪習は日本人にはふたつしかない。
一つは酒にすぐ手を出すこと、もう一つはあまりに女好きなことである。
が、これは上層階級、とりわけ政府と大大名がかかえている役人と
官僚の一群にのみいえることである。
役人、官僚の数はおびただしく、そのうちの一部は無職のことが多くて
暇な時間を茶屋で過ごし、女たちに囲まれて酔っ払う。」「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって
海藻を採集し浜砂に拡げて干す。
漁師のむすめ達が臑をまるだしにして浜辺を歩き回る。
藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。
子供らは泡立つ白波に立ち向かって利して戯れ、
幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。
婦人達は海草の山を選別したり、濡れねずみになったご亭主に
時々、ご馳走を差し入れる。
暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。
こうした光景総てが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ。」
(イライザ・シッドモア) ワシントンに桜並木を作る提案をした夫人「生活の糧を得るために必要な仕事を文句を言わずに果たしているが、
そんな働き者ではない。
必要なモノが手に入れば、余計なモノまで得ようとは思わない。
大きな利潤をあげようと疲れ切るまで頑張ろうとはしない」「材木を運ぶ労働者たちは、ちょとした作業をするのにも、
全員が熱を入れて歌をうたっていた。
ばからしい時間の浪費であるように思われた。
時間の十分の九は歌をうたうのに費やされるのだった」「気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない。
家の全家具を見てみたまえ。
これは、もっとも富裕な人びとの持ち物のすべてであり、
もっとも貧しい人びともこれ以上を必要としない。
かれらの全生活におよんでいるように思える
このスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、
称賛すべきなにものかがある」
(イギリス公使オールコック)「床の間に一枚の絵画と一箇の花瓶があって、
ときどき取替えられるだけである。
西洋人と違って、
『どうです、高価な品物がたくさんあるでしょう』
と言わんばかりに、 この家の主人が、
財物を部屋いっぱいに散らばして置くようなことはない。
金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。
我々はみな同じ人間だと心底から信じる心が
社会の隅々まで浸透しているのである」
(帝国大学教授・チェンバレン)イギリス人「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、
奢侈贅沢に執着心をもたないことであって、
非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。
大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない。」
(オランダ海軍軍人カッテンディーケ)長崎伝習所教官「日本の家に家具がほとんどなく手入れする必要がないのは、
とてもうらやましい。
ベッドがないので子供が落ちる心配がない。
眠る時に片付けるものもない。靴についた泥が入って来る心配もない。
お茶をいれる暖かいお湯さえあれば日本の家では楽しくすごせる」
(アリス・ベーコン)アメリカ人女性1888年来日”
http://japonism2ch.blog57.fc2.com/blog-entry-164.html
以上、勤勉性とは関係ないことも含まれているが、とても面白い。
調べてみると、
江戸時代の日本人の主流ってのは
、今と違い『生活を楽しむ生き方』だったようだ。
四季があり、その季節の移り変わりを楽しみ、
最低限必要なモノのために働き、余計なモノまで得ようとしない。
無理をして贅沢を手に入れようとはしない。
その代わり、日々を楽しむ。
逆に何かで大きな財産を築いたとしても、それを見せびらかすことは
格好の悪いこととされ金持ちは天狗にならず貧乏人は卑下しない。
もちろん、それから外れる者はいるだろうけど、
それが主流の考え方だったのだろう。
それが江戸時代までの話。
その後、明治時代の富国強兵、殖産興業政策あたりから
日本人の休日、余暇は減少したようだ。
「働かざるもの食うべからず」「時は金なり」
鎖国時代が終わり、欧米諸国との交流が頻繁に
行われるようになり外国に負けない日本を作るために
徐々にライフスタイルが変わってきたようだ。
とはいえ、当時の日本の状況というのは、
諸外国と同じか、それよりもノンビリしたものだったという。
勤勉日本人神話を作り上げたのは、なんといっても
そのずっと後の1954年~1973年高度経済成長期によるものだろう。
戦争で全てを”0”にしてしまった日本は、その悔しさをベースにして
今度こそ欧米に負けないように、身を粉にして働き続けた。
(強い日本を作るため)家族との時間を捨て、
(強い日本を作るため)自分の楽しみを捨て、
(強い日本を作るため)サービス残業をして、
(強い日本を作るため)自分の健康をすて、
「24時間戦えますか?」「はい。戦えます!」と
無理をしてきたわけだ。
疲れたら休む。無理をしない。季節を楽しむ。
生活を楽しむ。家族や友人を大事にする。
これが本来の日本人の姿なのだと思うよ。
だから、戦争って怖いよね。
元来持っていた国民性まで歪ませてしまうんだから。
め~ぐる~め~ぐる~よ。時代はめぐる。
中島みゆきも言っているように時代はぐるぐると回って
また戻ってくる。
国としてココまで成熟し、多様化して
もう経済的にも頭打ちな感じになってきている日本。
そろそろ、元来の『精神的に豊かな生活』の時代が
戻ってくるのかもしれない。
今、3平(心の平穏・平均的な年収・平凡な容姿)が
もてはやされるのはその予兆ってのもあったりして。